約20年前、32歳で代表取締役に就任して2代目となった近藤さん。家業を継いだのは不本意だったと当時を振り返る。
「子どもの頃から洋服が好きで、服屋というかファッションデザイナーになりたかった。できれば実家から逃げ出したかったね。一応、仙台にある設備関連の専門学校には行きましたけど、ほとんどアルバイトばかりで。設計事務所に就職して半年くらい働きました。でも、まあ使いものにならんですよ(笑)。それから友人に声をかけられて、仙台や石巻で古着屋を2年くらいやりました。辞める気は全然なかったんですけど、親が倒れたりとかいろんなことが重なっちゃって、実家に戻ることになりました」
それが今では地元を好きになり、この地に人を集めたいとまで思うようになった。
「岩手にいなきゃいけなかった俺が、今岩手を好きになって。東京に行きたかったとか、悔しかったとか、知ってるやつが有名になったとか、皆いろんなことがあると思うけど、今自分が好きなことをやって楽しめればいいかなと思っています。家業を継いで、できることが一つずつ増えていくうちに地元を好きになってきたのかもしれないね」
そんな近藤氏の奮闘や会社の歴史がつまった思い出の品が、the campusの敷地内に点在している。最初の営業所であり、東日本大震災後の復興工事でも活躍したというプレハブ小屋がその一つだ。近藤氏を含め従業員約30人が寝泊りしたプレハブ小屋は、盛岡、釜石を経て、北上市の森の中へやってきた。ここでは事務所や倉庫として使われているようだ。一角には同社の大工が手がけた自家製サウナまであるという。なかなかにカオティックな空間だ。
他にも、敷地内を散策していると窯らしきものに遭遇した。これは本業の工事現場でもらってきた圧力タンクを自力で改造したピザ窯だそうだ。インフラ工事を得意とし、なんでも形にしてしまう設備屋だからできることだろう。資源を有効活用しようというよりも、そこに粋な遊び心を見出せるのがいい。
近藤氏のもとに集まってくる“職人”たちの職能はさまざまだ。こうした窯をつくったり、マウンテンバイクのコースをつくったり、建物や家具まで自作してしまう。木が生い茂って、道もなかったという土地が、これほどまでに見違えるのかと圧倒されるばかりだった。
オープンに向けてthe campusはさらに進化していくであろうし、オープン後もどんどん変化を続けていくだろう。変わる面白さをここで存分に味わいたい。